こんにちは。仙台の税理士、伊藤です。
「年商1億円以下は事業じゃない」
堀江貴文さんのこの言葉、なかなかインパクトがありますよね。
SNSでもこの話題が取り上げられていて、
「たしかに一理あるかも」と感じた方も多いと思います。
この話題を追っていると、
途中で興味深い論点を見かけました。
年商1億という「目安」の話から、
いつの間にか
事業の「定義」の話に踏み込んでいた、という点です。
今回はそこをとっかかりに、
「自走」「スケール」「事業の定義」について、
少し整理して考えてみます。
「1億以下は事業じゃない」は、どの世界の話か
まず前提として。
堀江さんの発言が置かれている文脈は、だいたい次のような世界です。
- 投資
- スタートアップ
- 採用競争
- スピードと成長
- 社会的インパクト
この世界では、
- 個人の労働に依存しない
- 代表がいなくても回る
- 拡張できる(スケールする)
こうした状態になって、はじめて
「事業として評価される」
という考え方になります。
この前提に立てば、
「年商1億円」という数字は、
規模感を一瞬で共有するための分かりやすい目安です。
ここまでは、正直よく分かります。
SNSの延長で出てきた「事業の定義=自走」
SNSでの議論を追っていると、
数字の話から一歩進んで、こんな言葉を見かけました。
事業とは、自走していること
自走していないなら、まだ事業ではない
年商1億という数字の話と、
事業の定義の話。
この二つは本来、
少しレイヤーの違う話のはずですが、
SNS上では自然につながって語られていました。
スケールしない=本気じゃない、という空気
こういった話題の中では、
あわせてこんなニュアンスも出がちです。
- スケールしないのは覚悟が足りない
- 小さくまとめているのはビビっている
- 本気なら拡大を目指すはず
理屈というより、
姿勢や気合の話に寄っていく感じですね。
ただ、これらはかなり抽象的で、
ふわっとしています。
スケールする=正義
スケールしない=逃げ
という前提が、
いつの間にか置かれてしまう。
「自走」はスケール戦略の中で出てきた言葉
この文脈でよく使われるのが「自走」という言葉です。
- 人に任せられる
- 代表が現場から抜けても回る
- 仕組みで価値を生む
たしかにこれは、
スケールを目指すうえでは重要な要素です。
ただし、自走はあくまで
スケール戦略の中で必要になる条件であって、
それ自体が事業の定義ではないはずです。
スケールを前提にしない事業であれば、
最初から自走を最優先に設計しない、
という選択も十分に合理的です。
スケールしない事業は「未完成」なのか
スケール前提の評価軸に立つと、
拡張できない事業=途中段階
=まだ事業とは言えない
という見方になりがちです。
でも現実には、
- 利益率が高い
- 固定費が低い
- 少人数で完結している
- 何年も安定して続いている
こうした商売は、いくらでもあります。
それらは
「大きくなれなかった事業」ではなく、
最初からそういう設計の事業です。
「事業は利益率が同じなら、小さければ小さいほど優秀」
(恐縮ですが引用させていただきました。)
スケールしないことは、
逃げでも妥協でもありません。
「事業の定義」と「価値観」が混ざっていないか
ここまで整理すると、
論点が見えてきます。
「1億以下は事業じゃない」
「自走していないのは事業じゃない」
これらの言葉は、
- スケール前提の世界での成功条件
- その世界の価値観
を、
事業そのものの定義にしてしまっている。
正確に言うなら、
スケール前提の世界では、
自走していないと戦えない
これなら、かなり納得できます。
でもそれをそのまま、
事業とはこうあるべき
と一般化してしまうと、
どうしても現実とのズレが出てきます。
自走もスケールも、あくまで「選択肢」
自走も、スケールも、
- 必要な事業には必要
- 向いている人には向いている
- できたらすごい
ただ、それは
数ある選択肢の一つです。
スケールしないからといって、
本気じゃないわけでも、
覚悟がないわけでもありません。
違う戦場で、
違う勝ち方を選んでいるだけです。
強い言葉ほど、前提を一度疑ってみる
「年商1億円以下は事業じゃない」
この言葉は、
ある世界では正しい。
でも、すべての世界ではない。
自走やスケールを否定したいわけではありません。
ただ、それが唯一の正解になった瞬間、
見えなくなる商売の形がたくさんあります。
強い言葉ほど、
「それは、どの世界の話なのか?」
一度立ち止まって考えてみる。
そのくらいの距離感で、
ちょうどいいのではないでしょうか。
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伊藤 功明(税理士)
仙台を拠点に、個人事業主や小さな法人の税務をサポートしています。
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