子どもの頃から、スポーツ全般がちょっと苦手でした。
というより、「スポーツってみんな好きでしょ」って空気が、なんか居心地悪かったんです。
走るのは好き。でも、それだけじゃダメ?
たとえば、走るのはわりと好きだったんです。
一人で黙々と走るのは、考えごともできるし、なんだか気持ちよかった。
でも、球技になると一気に話が変わる。
ルールを覚えて、味方を意識して、判断して、動いて…
**「わからないし、怖いし、怒られそう」**のコンボ。
なのに、「みんなでやるのが楽しいよね?」みたいな感じが、苦しかった。
テレビが野球中継に変わる悲しみ
昔の話ですが、夜の番組が急に野球中継に差し替えられてて、
楽しみにしてたアニメが放送されなかった日、ありませんでした?
「今日こそドラえもん見よう!」って思ってたのに、
いきなりユニフォームの人たちが画面いっぱいに。
…その落差、地味にきつかったなあ。
体育のある日が、ちょっとだけ憂うつだった
学校生活の中で、体育がある日って、なんとなく構えてました。
着替えがある、順位がつく、うまくできないと目立つ。
「できて当たり前」の空気感があって、それがずっと気になってたんだと思います。
大人になって、一番よかったのは体育がないことかも
「今日は体育…」って思わなくていい生活。
これって、意外と大きな自由だなって思います。
走るかどうかも、動くかどうかも、自分で決められる。
それって、すごくラク。
最近は、「苦手だった派」の声も届くように
最近は、ヒャダインさんをはじめ、
運動が得意じゃなかった人の言葉を目にすることも増えてきました。
「わかるわかる!」って思える機会があるって、うれしいことです。
昔はそういう感覚って、共有しにくかったですからね。
好きも苦手も、いろいろあっていい
スポーツが好きな人も、苦手な人も、
それぞれに大切なスタンスがあっていいと思います。
でも、**「みんな楽しいよね?」「当たり前だよね?」**という空気が苦手だった、
そんな気持ちだけは、ずっと変わらず心に残ってます。
おわりに:ちょっと距離をとる自由
スポーツに限らず、「みんなそうだよね」っていう前提が、
ときに誰かを苦しくさせることもあるんじゃないかと思います。
できる・できないじゃなくて、「どれだけ自然に関われるか」。
その自由さが、大人になるとちゃんと手に入るんだから、
子ども時代の私にも教えてあげたいです。
ヒャダさん、ありがとう。