1社目の小さな会計事務所を辞めたあと、
次に選んだのは「コンサル会社」でした。
税理士を目指していたはずなのに、
なぜか道をそれたこの時期。
いま思えば、完全に若気の至りと現実逃避でした。
■ 税理士試験から逃げたかった
当時の私は20代前半。
最初の職場で仕事の楽しさを知った一方で、
税理士試験のプレッシャーからはずっと逃げたい気持ちもありました。
「このまま何年も勉強だけしてて、ほんとに意味あるのかな」
「もっと直接的に成果が見える仕事のほうが、自分に合ってるんじゃ…」
そんなふうにグラグラしていた時期、
「成果で評価される世界」に妙な憧れを持って、
気づけばコンサルティング会社の内定をもらっていました。
■ 会計事務所が母体の人材系コンサル
入った会社は、会計事務所が母体になっている人材系のコンサル会社。
「社内を一丸にする」とか「人と組織を変える」みたいなことをテーマにしていて、
企業の理念づくり、研修、制度設計などを支援する会社でした。
税理士事務所での「業務代行」より、
なんとなく“もっとクリエイティブで、影響力のある仕事”っぽく見えたのが決め手。
でも、理想と現実のギャップは、入社初日からありました。
■ 21日間、札幌に缶詰
新卒の研修は、札幌にある自社施設で21日間の合宿。
朝から晩まで、いや、深夜まで。
スケジュールはびっしりで、
講義のあとにすぐグループワーク、夜には自己分析発表。
できなければ、やり直し。詰められる。泣く人もいる。
その後、新潟の工場で現場体験研修。
作業着でラインに入って汗をかきながら、
「現場を知らずに指導はできない」と言われ続ける日々。
極めつけは沖縄の社員旅行。
ただの旅行じゃなく、当然プレゼンとフィードバックつき。
海の写真なんて1枚も撮ってません。
■ 朝4時のプレゼン練習
業務時間もえげつなくて、
日付が変わってから帰ってきて、
そのあと寝ないで朝4時にプレゼン練習、なんて日もありました。
当時は、「これが成長だ」と自分に言い聞かせてたけど、
実際は、心も体もどんどん消耗していくだけでした。
■ 学んだことも、確かにある
そんな環境の中でも、
今に生きてる学びがいくつかあります。
上司から言われたことで印象的だったのが、
- 「自分が経験したこと以上のアドバイスはできない」
- 「相手になりきって、モノマネできるくらい考えろ」
これは、いま自分が「スケールしない税理士」を選んだ理由にもつながってます。
自分が経験していない“会社を大きくする戦略”なんて、私には語れない。
だから私は、自分にできる小さな半径の中で向き合える人とだけ仕事をすると決めました。
研修でも「売上を増やすより、粗利を増やしてキャッシュを残す」
という本質的な経営の数字感覚を学びました。これは税理士の視点にも活きています。
■ でも、結局は向いてなかった
この会社にいたのは、たったの半年。
最終的には、やっぱり合わなかったんです。
一番大きかったのは、
「みんなでひとつの方向を目指そう!」みたいな熱量が、
どうしても自分には理解できなかったこと。
集団の中で燃えるタイプじゃなかったし、
自分の中にはその熱を育てられなかった。
そして、気づいたんです。
「自分はコンサルをやりたいんじゃなくて、税理士試験から逃げてただけだ」って。
■ あの半年があったから
いろいろあったけど、この半年間があったからこそ、
私はもう一度、地に足のついた世界に戻ろうと思えました。
かっこよく成果を出すことよりも、
「ちゃんと話を聞いて、ちゃんと数字を見る」ことが、自分には合ってる。
そう思えたのは、この場所で、
それなりに痛い思いをしたからです。
アイキャッチ画像:例の札幌研修所にて。なんかの罰ゲームで、顔に落書きされてます。
半年で50年分くらいの罵詈雑言を頂戴いたしました。