最適解じゃなくていい。「選べない」ことの正体

こんにちは。仙台の税理士、伊藤です。

『「選べない」はなぜ起こる?』(小島雄一郎 著)を読みました。


ビジネス書というより、日常にひそむ違和感をそっと言語化してくれるような一冊で、
ページをめくるたびに「うわ、それ自分のことだ」と思わされました。


お茶が選べない、あの感覚

たとえばコンビニでお茶を買うとき。
緑茶、麦茶、ジャスミン茶、特保のお茶…どれを選んでも、外れはなさそう。
だけど、なんだか選びにくい。決められない。

このとき私たちは、頭の中で「最適解」を探しています。
「健康にいいのは?」「価格は?」「カフェインの量は?」…といった“正しさ”の基準で比較しようとする。
でも実は、どれを選んでも大差ない。だから、決められない。

著者はこれを「最適化された商品は、差がなくなることで逆に選びづらくなる」と語っています。


世間の「当たり」と、自分の「当たり」は違う

ネットで高評価の飲食店に行ったけど、あまりピンとこなかった。
逆に、ふらっと入った店がやけに美味しかった。そんな経験、ありませんか?

本書では、そうした“偶然の出会い”を「セレンディピティ」と呼びます。
最適化された選択肢よりも、たまたまの出会いの方が「自分にとっての当たり」になることがある。

ここで大事なのが、「最適解=正解ではない」という視点です。
情報をたくさん集めて「失敗しない選択」をしようとすると、かえって選べなくなる。
むしろ「なんとなく気になる」「今日はこれがいい」という感覚に従ったほうが、結果的に満足できることも多いのです。


「選ぶ力」は、自分の物差しに気づくこと

『選べない』という現象は、「選択肢が多すぎるから」ではありません。
本当に困っているのは、「自分の軸が見えなくなっているから」です。

だからこそ、「選べない」を責めなくていい。
選べない時間は、自分の物差しを取り戻すための時間なのかもしれません。


選ばれる側として、できること

これはビジネスにもつながります。
私たちの仕事も、サービスも、お茶のように“違いが見えにくい”と感じられることがあります。

そんな中で選んでもらうには、「最適解ですよ」と伝えるのではなく、
「この人にとって、これが“当たり”になるかもしれない」——そう思えるような、共感や文脈を届けることが大切だと感じました。


おわりに

選べないときは、無理に決めなくてもいい。
「正しさ」で決めようとする前に、「自分の感覚」に耳をすませてみる。
本書はそんな視点を、やさしく与えてくれる一冊でした。